鹿児島で一番人気の味噌醤油の誕生秘話

 

 「あら?この味噌と醤油、甘いわね?」
はじめてのカネヨのお味噌とお醤油を召し上がった方は、その甘さに皆さんそろってビックリされます。
 そうなんです。
 カネヨの味噌醤油をはじめ、鹿児島の食べ物や調味料は、そのとびきりの甘さに特徴があるのです。


 それは、まさしく南国かごしま独特の食文化であり、やはり関東や関西方面に比べ、かなり甘みの強い味付けになっています。
これはひょっとすると、南国かごしま独特の温暖な気候と人々の食生活が深く関わっているからかもしれませんね。
 

 では、なぜ鹿児島の味噌、醤油は甘いのか?
 その全国でもめずらしい甘い醤油を、南国鹿児島の地で、真っ先に造り始めた、カネヨの初代当主「横山 栄蔵」の物語を紐解くと、そのナゾが解決できるかもしれません。
 さて、栄蔵が造った味噌醤油の謎とは・・・

 

「このくらいなら、ウチでつくれるわ!」
「あんまりパッとしないよね」
「もういいわ結構!」

 初代栄蔵の造った「お味噌」と「お醤油」地元、鹿児島のお客さんの第一声は、さんざんなものでした。台所の必需品である、お味噌やお醤油は、自分の家でつくるもの。わざわざお金を出して買うなんて・・・そんな時代でした。今から百年前のお話です。

 もともと漁師だった「横山栄蔵」。
 毎日朝早くから漁に出て、午後は町で重い天秤棒をかついで、魚を売り歩いて生計を立てていました。巷では西洋料理や牛鍋屋が出回りはじめ、世の中は食生活が大きく変わりは始めていました。

 つまり、昔ほど魚が売れなくなってきていたのです。今まで買ってくれていたお客さんも、減っていく一方。毎日、足を棒にして売り歩いても、夕方になってみれば、桶の中には売れ残った魚がたくさん・・・家には奥さんと食べ盛りの小さい子供が三人。家族5人食べていくのがやっとの生活でした。

 『いつまでこの生活が続くんだろうか・・・どうしたら、また昔のように魚を買ってもらえるんだろう・・・』

 夕方になると途方にくれながら、一人海岸端で海を見つめるそんな生活が何年も続きました。


 でも、そんな栄蔵にとって一つの転機が訪れたのです。それは、ある日の夕方のことでした。あいかわらず、売れ残った魚を持って家に帰ってきた栄蔵。毎日の食事といえば、売れ残った魚ばかり。いつものように、その魚で、奥さんが手際よく夕食を作ってくれます。
 その晩、食卓に出されたのは手作りの醤油で煮た魚の煮付け。
 食べ盛りで、肉を食べたいという子供達も、この手作りの醤油と砂糖で甘辛く煮た魚の煮付けだけは、おいしそうに食べてくれるのです。


 栄蔵は『ふと』あることを思いつき箸を止めたのです。
「魚の料理は、この煮付けのように煮るか、焼くかのどちらかだ!」
「それに、煮るといえば味噌か醤油がほとんど・・・」「そうか!」
「魚と一緒に、うちの味噌と醤油を売ってみてはどうだろうか!」
 「魚をおいしく食べられる味噌や醤油を一緒に売れば、もっと魚も買ってもらえるんじゃないだろうか?」


 さっそく次の日から、栄蔵は手押し車に、魚と一緒に自分の家で造っている味噌、醤油を積み込んで売りはじめました。
南国かごしまの強い日差しのもと、頭を下げて売り歩く栄蔵。


 でも、栄蔵が考えていたほど、現実は甘いものではありませんでした。
 「栄蔵さんは、漁師なのに、味噌と醤油を売っている!」
 昨日まで魚を売り歩いていた栄蔵が、今は手押し車で、魚と一緒に味噌と醤油を売り歩く。
その姿を見て町の人たちは笑いました。もちろん中には味をみてくれるお客さんもいましたが、その反応は栄蔵の思いとはうらはらに、さんざんなものでした。

 「このくらいなら、ウチでつくれるわ!」

 「あんまりパッとしないよね」「もういいわ結構!」
ある時など、お客さんから面と向かってこう言われたのです。

 「漁師は漁師らしく、魚だけ売っていればいい!おまえさんに、おいしい味噌、醤油を造れるわけがないだろう!」

 もともと自分で捕った魚を買ってもらうために売り始めた味噌と醤油。でも、その効果は全くありませんでした・・・自分なりに、おいしいと思っている自家製のお味噌とお醤油。しかし、一日が終わってみれば、やっぱり朝積んだものがほとんど減らずにそのままに。

「やっぱり、漁師の自分には無理なんだろうか・・・」
 夕暮れ時になると、一人海岸端で肩を落とす。そんな日が続きました。でも、先の見えない日々を送る栄蔵に、さらなる転機が訪れたのです。

 ある日、仕事から帰ってきた栄蔵。
 台所にはいつものように忙しく夕食を作っている奥さんの姿。その時、いつも当たり前と思っていた奥さんの料理をする姿を見て、栄蔵は「はっ!」としました。魚を煮ている鍋の中に醤油をそそぎ、そしてタップリと砂糖を入れる・・・
 「そうか!これだ!!」


 今までは当たり前と思っていたこと。でも、あらためて考えれば、重い当たるフシがあったのです。鹿児島の家庭での料理の味付けのほとんどは、醤油や味噌にタップリの砂糖。魚はもちろん、鶏や豚を煮るときも!

 ひょっとしたら、海に囲まれていつも潮風に当たっている鹿児島の人々の体は、自然とバランスをとるために、無意識のうちに甘いものが欲しくなるのではないだろうか?だったら、毎日のように口にする醤油や味噌は、甘口の方が鹿児島の人には好まれるのではないだろうか?

 さらに栄蔵は、こう考えました。毎日、自分の奥さんが料理を作る時に頭を悩ましているのは、「どうしたら子供達が残さず食べてくれるか?」ということ。この悩みは、子供がいる主婦なら、誰もが持っているはず。それならば、
子供でもおいしく食べられるお味噌と醤油を造れば、お母さん達にも喜んでもらえるのではないだろうか?


 この時、栄蔵は決意したのです。どうせ、このまま魚だけを売り続けていてもダメなのは分かっている。だったら覚悟を決めて、とことんやるしかない!
「鹿児島で一番の味噌と醤油を造ってみせよう!」と。

 その日をさかいに栄蔵は漁に出るのをやめ、自宅の倉庫に一人こもる毎日が続いたのです。味噌を造る日は、夜2時間おきに布団から出る。そして、蒸した“麦”の中に手を入れて“ぬくもり”と“湿り気”を直接感じ、味噌菌がしっかり育っているか確認する。大豆は蒸し具合から考え直し、麦を混ぜる量や塩加減をいく通りも試す。

 醤油造りの日は、モウモウと湯気の立ち込める中、
醤油の元となる“生揚(きあげ)”にうま味の決め手となる“アミノ酸液”をブレンドし、合わせる量を何度も試しながら味を確かめる。

 地元の人に喜んでもらえる、さらに子供達でもおいしく食べられる味噌と醤油を造り上げるために、
ただひたすらに
研究を重ねたのでした。


 試作品が出来上がっては、町に出てお客さんに味見をしてもらう。その繰り返し。そしてお客さんの反応は…

「この前と大して変わらないね。」
「このくらいの味なら、まだ自分で造れるよ!」

 お客さんは、なかなか首を縦に振ってはくれませんでした。
 それでも、栄蔵は試作品を造っては改良を重ね、町に足を運び続けたのでした。くる日もくる日も。でも、そんな根気強さと、地道さの甲斐あって、次第にお客さんの反応が変わっていったのでした。

 

 「今回の味噌は、この前のよりおいしいよ!」

 「これは、今までのよりも食べやすいよね!」

 

 そんなお客さん達の声が少しずつ聞こえるようになったのです。なかでも、子供のいるお母さんは喜んでくれました。

 「うちの子供は、栄蔵さんのお醤油で作る魚の煮付けが大好きなのよ!」

 「味噌汁をあまり食べなかったうちの子が、栄蔵さんのお味噌で味噌汁を作ったら、おかわりしてくれるようになったわ!」
 そんなうれしい言葉を聞いているうちに、栄蔵はあらためて思い返したのです。

 

 「温暖な土地で、しかも海に囲まれて、毎日潮風に当たって生活をしているこの鹿児島の人々には、やっぱり甘口の味付けが好まれるんだ。」

 「だから毎日使う味噌や醤油も、それに合わせたものを造らないといけないんだ!」


 それからも、何度となく試行錯誤を繰り返しながら、栄蔵の造る味噌と醤油は、鹿児島の人々に支持されるようになり、少しずつ根ざしていったのでした。

 「栄蔵さんの醤油は、魚の煮付けにとても重宝するよ」

 「ウチの子供達も、栄蔵さんのお味噌とお醤油で作ると残さず食べるのよね!」
 そんな栄蔵の生きた時代から百年。栄蔵が試行錯誤のすえに造り出したお味噌とお醤油。そしてその基本となる考えと教えは、今も変わらずこの南国鹿児島の地で引き継がれ、守り続けられています。

 「あら?この味噌と醤油は甘いわね?」
 それは、温暖な鹿児島の独特の気候風土の中で考え出され、百年かけて今に伝えられる、伝統の味なのです。